2011年4月19日火曜日

メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯

Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur

メンフィスの遺跡群は偉大な文明の壮大な歴史的建造物にあふれている。サッカラにある階段ピラミッドは、規則的に切り出された石灰岩で建造されており、このタイプの建築物の中では最古の例として知られている。ギザでは、最古級の船の内の1つ、太陽の船が現在も残っており、クフ王のピラミッド複合体の近くで手つかずの状態で発見されたものである。サッカラはエジプトの中でも古い墓地遺跡があり、ファラオによる文明の形成期にあたる時代まで遡る。これらの建造物に対する人々の並はずれた歴史的、芸術的、社会学的興味は、古代エジプトが地球上で最も輝かしい文明の1つであった証拠と言えるだろう。

エジプトの古王国時代の首都であったメンフィス地域には、岩窟墓、華麗なマスタバ、神殿、ピラミッドなど、途方もない量の葬祭に関する建造物がある。古代では、ピラミッドは世界の七不思議の1つに数えられていた。
エジプト統一王朝の最初の統治者はメネスまたはナルメルであり、ナイルデルタの近くに新たな首都建設を命じた。メネスの町、メンネフェルまたはフウト・カー・プタハ(プタハ神の魂の住まう所)と呼ばれ、ろくろで人間を作り出す羊の頭をした工人の姿で表される創造神プタハのための、最も重要な聖域であった。壮大な町メンフィスは古代ギリシア人にも知られているが、今日残っているのはプタハ神殿のわずかな残りであり、ここからはファラオや偉人達を描いた奉納のための彫像や、記念碑的なネクロポリスが発見された。

サッカラのネクロポリスは首都に最も近く、またエジプトでも最大で、最初の石製の大ピラミッドが位置している。この墓は第3王朝の最初の王ジェセルによって建設された。ピラミッドは前身となっている墓の上に建てられたものである。前身の墓は大きな直方体であり、壁はわずかに内側に傾き、天井は平坦で、一般的にマスタバという名前で知られている。ピラミッドは、良質の石灰岩を用いて10mに及ぶ高さのある外壁に覆われた葬祭複合体の中に位置している。外壁には14の石製の偽扉があり、柱の列に挟まれた廊から成る巨大な入口を有する。入口は王位更新祭が行われたとされている。広場に通じている。広場の一つの側面には階段状の台があれ、そこにファラオの玉座が作られている。台の東と西には祭壇が築かれている。

第4王朝の最初の王、スネフェルは墓の構造を変化させ、現在一般的によく知られているピラミッドの形式を採用した。ダハシュールのネクロポリスには赤ピラミッドが建てられた。この名前は、ピラミッドに使用されていた石灰岩が赤みを帯びた色をしていることからつけられた。その南には途中で傾斜の角度が変わっている屈折ピラミッドが築かれており、この屈曲はピラミッドの発展過程の中間的要素を示している。

スネフェルの次の王位は、息子のクフへと引き継がれ、次いでカフラー、メンカウラーとなり、この3人のファラオがギザに大ピラミッドを築いた。ピラミッドは太陽、大いなる神ラーのシンボルであり、その信仰は第4王朝から突出したものとなった。古王国時代の末に位置づけられるピラミッドの玄室に書かれたピラミッド・テキストには、亡き王が太陽となる記述がみられる。

最も大きいクフ王のピラミッドには「クフの地平線」という名前がつけられていた。入口は北側の中央にある。内部には狭い回廊があり、二手にわかれている。1つはピラミッドの下にある岩盤を掘り抜いて作られた部屋に通じており、もう1つは「女王の間」と呼ばれる小さな部屋に通じており、この道からさらに大回廊と大きな「王の間」へと通じている。

残り2つのピラミッドはそれぞれ「カフラーは偉大なり」と「メンカウラーは神聖なり」と古代に呼ばれていた。それぞれの墓はスネフェルの命によって最初に作られた葬祭複合体の一部を形成している。

世界遺産オンライン事典のページ
http://worldheritage.is-mine.net/r00051.html
(英語)http://worldheritage.is-mine.net/r00036en.html

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