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2010年7月24日土曜日

メテオラ


メテオラはギリシア北西部、テッサリア地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体の総称。ギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉に由来している。その名前のごとく、高さ数百メートルもある巨岩の上に立つ修道院は、まるで空中に浮いているかのように見える。

メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち、祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既にこの奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていたが、当初は現在のような修道院共同体を形成する事はなかった。

しかし、14世紀にセルビア王国がテッサリアへ勢力を拡大し、東ローマ帝国で修道院活動の中心を担っていたアトス山は、セルビア領の中に組み込まれた。当時、戦乱を避けて多くの修道士がアトスを出てメテオラに住み着くようになった。この時期にメタモルフォシス修道院(顕栄修道院、変容修道院、主の顕栄祭を記憶する修道院)が創立され、アトス式の共同体様式が導入されることで、修道院共同体が確立していった。

14世紀の末には、テッサリアはオスマン帝国によって併合された。イスラム教徒による支配ではあったが、オスマン朝はメテオラの修道院の活動を保証したため、修道活動は継続されている。16世紀には「クレタ派」とイコンの流派がこの地でも活動し、現在も数多くのフレスコ画が残されている。

19世紀には露土戦争後にギリシア領に編入されている。その後も修道活動が続けられているが、その風光明媚な概観から、観光地として人気を博するようになった。しかしながら、メテオラはもともと俗世との関わりを断つためにわざわざ険しい環境に建てられているのであり、観光地化、大衆化とは本来相容れないもののはずだ。世界遺産に登録されたことがかえって、メテオラの価値を落としめることにもつながる結果になってしまうという、近代特有の難しい問題をはらんでいる。

いずれにせよ、このような険しい環境にあれだけの修道院を建立し、生活するには数多の困難があっただろう。それでも俗世とのかかわりを避けるために耐え、自らに苦行を強いる姿、そのパワーには畏敬の念を禁じえない。

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