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2011年4月13日水曜日

古代都市テーベとその墓地遺跡

Ancient Thebes with its Necropolis

テーベは古代エジプトの歴史、美術、宗教に関する最も優れた遺跡があり、古代エジプトの絶頂期に首都だった町である。
ファラオからローマ皇帝まで、何百もの統治者が町の建築物やオベリスク、彫像を建設した。

中王国時代から古代の終わりまで、この都市は至上の太陽神アメンの神聖な土地であった。比類ない豪華さと巨大さを持つ神殿群がこの神にささげられた。アメンヘテプ3世とラメセス2世によって建てられたルクソール神殿はカルナックの聖域とスフィンクスの列に囲まれた参道でつながっており、2つの赤色花崗岩製のオベリスクが建てられた入り口へと続いている。

ルクソール神殿の入り口はシリアやヒッタイトへの軍事遠征の場面によって飾られており、ラメセス2世によって立てられた巨大な中庭と聖船を安置するためのチャペルに続いている。聖船は父なるアメン神、ハゲワシもしくはライオンの姿で現された母なるムウト神、その子で月の神コンスの3柱神に捧げられていた。第2の構造は、アメンヘテプ3世によって立てられた巨大な塔門と列柱廊、中庭、高い柱を持つホールになっている。

ルクソール神殿から3km北には、記念碑の複合体であるカルナックがあり、3つの神殿によって構成されている。そのうち1つはムウトの聖域であり、もうひとつは戦の神メンチュ、最後はアメン神のものである。神の父に捧げられた建物は、ファラオが自らの治世の栄光を証明するために命令した度重なる拡大と改築の賜物であった。巨大な中庭の中央にはタハルカ王の巨大な祠堂が立てられている。ブバスティスのポルティコ、セティ2世の神殿、トトメス3世とラメセス1世、2世の巨像群、134本の巨像の柱による列柱室、6つの記念碑的な塔門、花崗岩製の柱やオベリスク、宗教的儀式や軍事活動の場面を描いた部屋、両側に倉庫のある聖なる池、カバの女神オペト神に捧げられた神殿(オペト神がオシリス神を生んだといわれている場所に建てられた)、そして最後に南にある前門で、4つ入り口は浅浮き彫り、柱、オベリスクと巨像群によって飾られている。

ナイル川の対岸にはテーベの死の側面が何世紀にもわたって発展していった。およそ15世紀にわたり、巨大な葬祭殿が西岸の丘陵の麓に建てられた。葬祭殿は対応する墓と完全に分離されており、墓は背後の山に作られた(王家の谷)ことで、略奪、盗掘から守られていた。

よく知られているのはラメセス2世の巨大な葬祭殿であり、耕地際に位置していた。中庭、彫像、装飾、巨像群にあふれた聖所は多くの古代の著述家によって賞賛された。アメンヘテプ3世の葬祭殿で残っているのはメムノンの巨像で、石英の一枚岩から作られており、ファラオが玉座に座している姿を現している。

ファラオと高官、神官や王妃の墓は背後の山の奥深くに隠されており、アル・アサシーフ、アル・コーカ、クルナト・ムライ、デル・アル=メディーナ、王家の谷、王妃の谷などの巨大な墓域を形成している。王家の谷の岩窟墓の中で、イギリスのカーナボン卿とハワード・カーターは1922年に小さな墓を発見したが、やがてそれはエジプトでもっとも有名なものとなった。少年王ツタンカーメンの墓である。

世界遺産オンライン事典のページ
http://worldheritage.is-mine.net/r00055.html
(英語)http://worldheritage.is-mine.net/r00016en.html

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