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2011年4月7日木曜日

世界遺産 古都スクレ(ボリビア共和国)

Historic City of Sucre

スペイン様式の都市スクレの中心部は遺産の宝庫であり、ラテンアメリカにおいて在地の伝統とヨーロッパから輸入された様式が融合した建築群が、きわめてよい状態で保存されている。

スクレの古名はラ・プラタであり、ペドロ・デ・アンスレスによって1538年に設立された。スペインのコンキスタドール(征服者)、ゴンサロ・ピサロ(フランシスコ・ピサロの異母弟)はアンデス山脈コルジレラ山系の東側の高地に興味を持っており、鉱山の採掘活動を監督していた。活動の結果、建設されたのがラ・プラタである。1559年にはスペイン王フェリペ2世の命により東部の支配地域を運営するためにカラカス市が建設され、その本部がラ・プラタに置かれた。カラカスには司法と行政の中心となり、現在のパラグアイ、南西ペルー、チリ北部、アルゼンチンとボリビアの大半を統括していた。

スペイン様式の都市はシンプルな都市計画によってデザインされており、16世紀にスペイン人によってアメリカ地域に建設された都市と同様のものであった。近郊にあるポトシの豊富な鉱物資源はラ・プラタの経済的発見に影響しており、またラ・プラタは文化の中心であり、現在の最高裁判所の前身が置かれた。

1609年には大司教が鎮座するようになり、17世紀中にはラ・プラタはスペインの東世界における法的、宗教的、文化的中心となった。アメリカ人による初の独立要求も1809年にこの町で起こった。1825年8月には独立が宣言され、ボリビアとい名前で新し共和国が生まれた。同時にラ・プラタはスペイン支配から独立を勝ち取り、初代大統領となったアントニオ・ホセ・デ・スクレの名をもらって、「スクレ」という名前に改称された。

都市の歴史的中心地にある建築群は18世紀の在地の建築における特徴を有しており、同時代にポトシに建設されたものと似ている。18世紀末から19世紀のより近年の建築ではまだパティオ(中庭)を有しているが、スペインの大都市からもたらされた新古典様式を取り入れている。「自由の家」(ボリビアの独立宣言に署名した歴史的な場所)は、ボリビアを独立へと導いた出来事があった場所なので、国の最も重要な歴史的記念碑と考えられている。1621年にイエズス会の女子修道会の一部として建設された建物である。

一方で、多くの宗教的建造物がスペインの植民都市の始まりの記録となっている。その中には16世紀の移住者によって建てられた教会が含まれており、サン・ラザロ、サン・フランシスコ、サント・ドミンゴ、1559年に建設が始められ、250年後まで完成されなかったメトロポリタン大聖堂などがある。これらの建築物群はルネッサンス、バロック様式、メスティソ・バロック様式の特徴を示すものとなっている。サンタ・バーバラ教会はルネッサンス様式によるボリビア唯一の教会である。1887年に建設されたもので、内部の構造はネオ・ゴシック様式である。スクレの全ての教会は在地の建築の伝統とヨーロッパから輸入されたスタイルとの融合を描き出している。

世界遺産オンライン事典のページ
http://worldheritage.is-mine.net/r00357.html
(英語)http://worldheritage.is-mine.net/r00346en.html

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