2010年8月10日火曜日

ビキニ環礁

第2次世界大戦の傷跡がまだ癒えず、世界が冷戦へと向かいつつあった時期に、アメリカ合衆国は太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で核実験を開始する決断を下した。この地域に住んでいた人々を移住させた後、1946年から1958年の間に67回の核実験を実施した。

最初の実験は1946年のクロスロード作戦である。71隻の艦艇を標的とした実験であり、第2次大戦後接収した日本やドイツの艦艇も標的となっていた。空中での爆破実験と水中での爆破実験が行われており、水中爆発では1600mに及ぶ水柱があがっている。この時沈没した船は今もラグーンの底に残っている。


1954年に行われた水爆の実験は、キャッスル作戦と呼ばれている。原子爆弾1000個分の威力を持つ水爆実験によって、直径約2キロメートル、深さ73メートルの巨大なクレーターが形成された。このクレーターはこの実験のコード名「ブラボー」から「ブラボー・クレーター」とも呼ばれている。

この実験の際、日本のマグロ漁船第五福竜丸を含む1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被爆している。また約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、島民が被爆している。

水素爆弾が実戦で使用されたことは、幸いにしてまだない。しかしながらアメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中国を筆頭に核兵器の保有は現在もなお続いている。

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